イベント& レポート



2009年11月23日、日本特撮ファンクラブG主催のG祭にて



11月23日(祝)、東京の日本特撮ファンクラブGのイベントにて


イベントのレポートは、このG祭パンフレットの画像↓をクリックしてください



 2009年11月23日、日本特撮ファンクラブG 「緯度G大作戦2009」の『十三回忌特別企画 金子光伸くんForever and Ever』 涙と感動の中、無事終了いたしました。
心より、どうもありがとうございましたm(_ _)m

去年2008年9月、絶対ガセネタだと思い続けていた金子光伸くんの死を真実だとやっと受け入れ、悪魔くんのDVD購入後てひたすら泣き続けたことは、このホームページ(以下HP)の「このサイトについて」でお話しいたしました。当時は光っちゃんのことは何も知らないわからない、生前の彼を知っているという人は、私の回りでは誰一人としていませんでした。9月25日の彼の51歳のお誕生日にMixiでコミュをたちあげ、皆と彼のことを話したいというのもありましたが、彼を知っている人が来てくれるだろうという期待もありました。

しかし思った通りには全くいかず(^^; 11月の時点ではコミュは10数人、皆さんが毎日頻繁に書き込みをしてくれてとっても楽しかった反面、光っちゃん個人のことを知っている人は誰一人としていない…秋空の下、悪魔くんやロボのロケ地だった石神井公園や城ケ島を訪ね「お願いだから光っちゃんのこと、誰か何か教えて〜〜!」と叫んでも何の反応も無し(^^;

元東映の名プロデューサーの平山亨先生なら何か知っているかも!先生が昔、神主さんを務められた都内の神社に行き、「先生と会わせてください!お願いします!!(-人-)」と祈願したり。こんな様子で本当に物事は進むのかしらと不安になりながら…。

しかし去年のクリスマスあたりから事態は意外な急展開…そして迎えた新年、「今年2009年は、もしかしたら何かが起っちゃうかも??」という小さな期待がありました。

私は1月末で会社勤めの契約を終了した後は、フリーランスの仕事を極力少なくし、ひたすら自宅で『光っちゃんアクティビティ』(訳:光っちゃん普及活動(^^;)で、HPをひた
すら作成。1ヵ月もあれば終わるでしょ、と思っていたら考えが超甘かったでした(- -;

画像制作したり、静止画をキャプチャーしたりする作業が意外と大変で、これだけでも朝から晩まで毎日行い、1ヵ月半もかかってしまいました。パソコンのマウスで0コンマ何秒の秒刻みを繰り返しエンエンとやるため、肩と右手の肘から手首までに痛みが走り、トクホンを貼り腱鞘炎になったけれどそんなの気にしてられない!きっと光っちゃんとファンの人が楽しみにしていてくれる。そして光っちゃんのお父さんとお母さんも、きっとどこかでこのHPのことを耳にしてくれて、多分喜んでくれるはず!!

今から考えるとめちゃめちゃ気負いすぎですが(笑)そういう思いがあったので続けられました。

今年2009年2月から始めたHP作りは、毎日地道に作業を続け、3ヵ月半後の5月下旬に、とりあえず完成しました。そして、今年2009年7月29日にオープンしました。

過剰な期待はやめて「まあ一人でも多くの人に見てもらえればいいや。」と思っていたら、友人たちが色々とがんばってくれました。中でも私を最大に支えてくれている『貴公子』さんが、元祖かいじゅう博士の『原坂一郎』さんをおしえてくれました。原坂さんは光っちゃんと同年代で、小学生の頃かいじゅう博士として色々なTVに出演し、小学生の時に光っちゃんご本人からハガキをもらった人でした。

原坂さんのHP経由でメールを出したところ、とっても優しい心暖かいお返事メールがすぐ届きました。原坂さんの物惜しみない援助のおかげで、本格的に奇跡が起りました。その後原坂さんは、ご自身がパーソナリティのラジオでHPを紹介していただき、その後G祭のお話を持ってきていただいただけでも涙が止まらなかったのに、日本特撮ファンクラブGのスタッフの方たちが「金子光伸くんの企画は、メインイベントにしましょう。」と言っていただいた時は、凄い展開にただ、ただ驚きました。

そして2009年11月23日、前日まで寒く悪天候でしたが、それから一転して、まるでイベントを祝福してくれるような快晴でした。会場はほとんど満席、笑いあり、時には涙ありの感動のイベントになり、ゲストの平山亨先生には、光っちゃんの子供の頃やかっこよかった青年期、そして悲しい訃報を聞いた時などのお話をしていただき、「仮面ライダースーパー1」で主役を務められた、高杉俊介さんには、俳優さんという立場から、光っちゃんにたいしてとてもありがたいコメントをいただきました。

そして忘れてはならないのは会場の皆さんです。映像放映中の皆さんの幸せそうな笑顔、そしてロボやコメットさんの涙の場面、そして帰りに私からのプレゼントであるHPの光っちゃんロゴの缶バッジを配りましたが、「よかったです!どうもありがとう!」と言ってくれた、皆さんの満面の笑顔が、今でも心にやきついています。

  去年の今頃、何にも情報がなく城ケ島で叫んでいた(!)時からみれば、その1年後の今回のイベントはまさに奇跡でした。HPをたちあげさせていただき、そしてG祭という特撮の由緒あるイベントでこのようにメインでとりあげられて、光っちゃんもきっと、天国でとっても喜ばれていることでしょう。私も言葉に表せないくらい、とっても嬉しいですが、反面、亡くなられてからのこの12年間、とっても寂しかったでしょう。全然気がつくことができなくて、ごめんなさいね、という気持もあります。

また光っちゃんは、歴史に残る素晴らしい番組に出演できて、とってもとってもラッキーだったと思っています。青年期には思ったように、俳優活動は出来なかったかもしれませんが、それでも幼年期にやれたことだけでも、とても大きなことです。

私たちが子供の頃、悪魔くんやジャイアントロボのような、感動的で素晴らしい番組を見られたことも、私たちにとってもラッキーでしたが、番組を彩り、楽しく、華やかにしたのは、当時徹夜でがんばってくれた、プロデューサーの平山亨先生をはじめ、番組制作スタッフの皆さん、監督、演出家、音楽家、歌手、俳優の皆さんと、そしてたった9〜10歳の子供なのに、一生懸命力をふりしぼり、素晴らしい演技を見せてくれた、子供なのにどこか気品と崇高さのある、最も愛らしい昭和の名子役の金子光伸くんでした。

あるファンの方が私に、「その人が死んだというのは、完全に忘れ去られてしまったときに、本当に死んでしまったと思う。でも誰かが、何かしら、どこかで、亡くなられた人のことを思いつづけているのならば、その人は死んではいない。僕たちの心の中で、その人は永遠に生き続けているんです。」と言ってくれて、私は彼の言葉に心を動かされました。

皆さんが、こうして光っちゃんのことを話題にしていく限り、映像をみて彼の愛らしい姿に微笑んでいただく限り、そしてこのHPも、例え私が死んでもその後もずっと残っている限り、DVDが今後も永遠に継続的に日本又は世界のどこかで見られ続ける限り、光っちゃんのことは今後10年、20年、50年、70年それ以上も語り継がれていくでしょう。そのことが、私にとって、何よりも嬉しいです。そして雲の向こうの空に向かって「本当によかったわね。」と、時々つぶやいています(笑)。

英語では、とっても嬉しかったことを「Thanks million!」(百万回のありがとう)と言いますが、今の私には、ありがとうの数が数えられません。そして、あのような涙と笑いと感動につつまれたイベントにしてくださいました、原坂一郎さん、日本特撮ファンクラブGの今井さんや黒田さんはじめスタッフの皆さん、平山亨先生、高杉俊介さん、私を応援してくれた、貴公子さんはじめ多くの友人のみなさん、そして休日なのに会場までご足労していただいた会場のみなさん、またわざわざ日帰りで新幹線や飛行機を使って来てくれた皆さん、そして遠方なため、来たくても来られなかった皆さんからは暖かい激励のメッセージをいただきました。そしてまた、来られなくても、一瞬でもこのイベントと金子光伸くんのことを思ってくれた皆さん、全ての方にたいして、感謝いたします。


心の奥底から、どうもありがとうございました。皆さんのおかげで、このイベントが、金子光伸くんにたいする最高のプレゼントとなりました。

短く読みやすくまとめようとしましたが、自分の気持を省くことができませんでした。長たらしい文章をここまでお読みいただき、感謝いたします。


2009年11月28日
かねぼん(金子郁子)


   


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