2009年11月23日(祝) 
墨田区みどりコミュニティセンター

司会 黒田能靖氏
(日本特撮ファンクラブG)

ゲスト
平山亨氏
(株式会社レッド・エンタティメント・デリヴァー取締役)


高杉俊介氏
(俳優・特別ゲスト主演作品、「仮面ライダースーパー1」)


金子郁子(かね)
(金子光伸氏ファンサイト管理人)



下記のロゴをクリックすると各章へジャンプします

平山氏、金子光伸さんとの出会い
金子光伸さんのホームページ作成について
海外での番組と金子光伸さんの人気
高杉俊介氏登場、仮面ライダーZX秘話
潮健児さんと金子さんの逸話
金子光伸くん いつまでもForever and ever
高杉氏 仮面ライダースーパー1変身!
G祭 エンディング



黒田氏 「本日は特別企画として、『悪魔くん』『ジャイアントロボ』で主役を務められた、金子光伸氏・十三回忌特別企画『金子光伸くん Forever and Ever』を進めていきたいと思います。ゲストの方を何人かお呼びしているのですが、まず元東映プロデューサーの平山亨先生に登場していただきます。先生、本日はどうぞ宜しくお願いします。」

平山氏 「こちらこそ宜しく。」

黒田氏 「まず先生にお聞きしたいのですが、金子光伸さんとの初めての出会いについて教えていただけませんか。」

平山氏 「まず東映が初めて、子供番組を作らなければいけないということで、僕は当時水木しげる先生の『悪魔くん』がとっても気に入っていて、是非これをやってみたい!と思っていた。色々と大変なことがあったけれど、1966年(昭和41年)、やっとテレビ番組が放映されると決まり、さて、子役をどうしようかと思った時に、小林恒夫監督が「この前使った子で、とてもかわいい、良い子がいるよ。」と言っていた。それじゃ小林さんに頼もうということで、彼が言っていたその子役の子、金子光伸くんに来てもらった。また金子くんは本当にかわいい子で、その場で満場一致で即、悪魔くんの役に決定した。おばさんたちまでが「とってもかわいくて抱きしめたくなる子」と言っていたくらい、それは素晴らしい子だったよ。

僕は『悪魔くん』のヒットは、金子光伸くんのお陰だと思っている。もう言いようのないくらいかわいくて、また子供なのに色気があってかわいらしい子だった。怖いメフィストに向かって命令をするのがまたかわいく、子供の目から見ても親しみがあり、素晴らしい子役だった。誰の目から見ても、金子光伸くんは『スター』そのものだったね。」

黒田氏 「それではここで、VTRで『悪魔くん』の、悪魔くんとファウスト博士、メフィストとの出会いとオープニングの映像と、『ジャイアントロボ』の草間大作少年とロボの出会いの映像を観てみたいと思います。 




黒田氏 「ここでもうひとかた、ゲストをお招きしたいと思います。今年、インターネットで金子光伸さんのファンサイト『金子光伸くん Forever and Ever』をオープンした、サイト管理人の金子郁子さんです。本日はどうぞ宜しくお願いします。まず、金子光伸さんのホームページ(以下HP)を作ったいきさつなど教えていただけますか?」 

金子郁子(以下かね) 「私は幼稚園生の時に『悪魔くん』をリアルタイムで見ていて、実は金子光伸さんが初恋の人なんです。『悪魔くん』はとっても怖い番組でしたが、光伸くんがかわいくて、ステキでとっても愛らしいので怖さも緩和されていたと思います(笑)。ある時からぱったり、彼をテレビで見なくなり、そのまま時が経ち私も自然に彼のことは忘れていきました。そして7年前の2002年、丁度仕事をサボっていたときに、ふと金子君のことを思い出して、今はどうしているのかしらとインターネットで検索をしてみました。

そしたら、TAKAさんという方のHPで『金子光伸さんが亡くなった!?』というところにヒットし、「えええっ!!うっそー!信じられない!(@@!!」と思ってしまったんですね。そうしたら仕事中なのにじわじわ涙が勝手に出てきて、これはまずいと思いすぐにHPを閉じ、また私もその事実を絶対に受け入れたくない、これはよくあるガセネタだと思い込んで、ずっとそのままきたんですね。金子君は初恋の人なので、自分にとって特別に大切な想いがあったから、全面否定をしてしまったと思うんですね。

そして今年になってやはり昭和の懐かしい番組のHPを見ているうちに、やはり金子光伸さんが亡くなったというのは事実であるということを知り、やっぱり本当だったんだ…と非常に残念に思い、『悪魔くん』と『ジャイアントロボ』のDVDを購入しました。DVDを観て、本当にかわいくて、子供なにの気品がある愛らしい金子君を見て、自分も当時の5歳に戻ってしまいました。でもこんなにかわいい彼がもうこの世にいないと思ったら、まる1ヶ月間でしょうか、もうとにかく自分でもわけがわからないほど泣きつづけて、ご飯を食べていても、仕事をしていても、道を歩いていても、空を見上げていても、涙は容赦なくこぼれてきまして(苦笑)。

インターネットでは彼の死を嘆くコメントとかもたくさん見ましたので、まずインターネットのミクシイで金子君のコミュニティを作り、ファンの人と話をしたい、またきっと金子君のことを詳しく知る人がきっと来てくれるはずだ、と思って、去年2008年、彼の誕生日の9月25日にコミュニティを立ち上げました。たくさんのファンの人と金子君のことをいっぱい話せてとっても楽しかったのですが、彼自身のことを知る人はいなかったので、それではやはりHPを立ち上げて、世の中に金子光伸くんのことを広めたい、常に彼を偲びたい、そして彼の生きた証をHPでずっと残したいという気持で、HPを作りました。」

黒田氏 「僕も実は今年のこのG祭の企画の段階で金子光伸さんの話が出たときに、今年2009年に彼が十三回忌を迎えるということもあり、これは意味のあることだと思ってゴリ押ししました。そしてG祭スタッフの皆が二つ返事でOKしてくれました。さて、かねさんのHPの掲示板を見ると、英語のページもあるので海外からの書き込みもあるようですが、多くの人の反響があったのですね。海外ではいかがだったのでしょうか?」

かね 「私が作った金子光伸くんのHPは日本語がメインなんですが、私の職業が通訳・翻訳で、また『ジャイアントロボ』はアメリカでも大人気だったし、金子君のことを世界にたいして伝え広げたいとの思いで英語も立ち上げました。HP立ち上げた後、たくさんのファンの人たちから掲示板や、私個人あてにメールもいっぱいいただきました。海外はほとんどがアメリカからアクセスしてくる人が多く、彼らとやりとりをしたところ、こんな事がわかりました。

まず『ジャイアントロボ』ですが、アメリカでは日本のロボの番組終了の1年後、1969年(昭和44年)から『ジョニー・ソッコ・アンド・ヒズ・フライング・ロボット』という題名で、国営で放送されました。『草間大作』という名前はアメリカ版では『Johnny Sokko』でした。その後1971〜1973年(昭和46〜47年)に再放送が繰り返され、その間に物凄い人気が出たようです。

またメキシコでは、1970年代に当時の日本の番組が大人気で、『ジャイアントロボ』をはじめ、『ウルトラマン』『マグマ大使』『コメットさん』『魔法使いサリー』などが放送されていたようです。ただ『ジャイアントロボ』は国営放送ではなく、地方の民放で放送されていたようで、メキシコ北部の人はロボは知らないのですが、中部と南部に住んでいた子供たちはしっかり観ていたようで、とっても人気があったようです。

また『悪魔くん』ですが、ベネズエラで大人気だったと聞いています(笑)。これら海外でのファン層は日本と同じく、当時の子供だった40代の人が圧倒的ですね。」

黒田氏 「世界的に人気があったんですね。僕もリアルタイムではないのですが、夏休みとかに『悪魔くん』『ジャイアントロボ』が1年間に数回放送されていたのではないか、というイメージがあります(笑)。金子君はとってもかわいらしく、人気のあるお兄さん、というカンジでした。当時は色々な子役の方がいて、番組によってはやっかみもあるのですが(笑)金子君に関しては全くそういったやっかみがなく、ロボの操縦も大作少年の腕時計を自分が奪って操縦してやる、という思いは全く無く、かえって金子君演じる大作少年に任せたい、という気持はありましたね。」

かね 「大雑把ですが、金子光伸くんの日本でのファン層は大体男性5割、女性5割でこの女性たちは私と同じく金子君が初恋の人、という方が多いと思うんです。しかしアメリカ、中南米でのファンは9割が男性なんです。当時、金子君をヒーローとして崇めていた人が多かったようですよ。」

黒田氏 「今後もHPが繁栄しますように。さて、ここでかねさんが選択した、『悪魔くん』と『ジャイアントロボ』の名場面の映像を続けてご覧頂きたいと思います。

    第4話 『大海魔』       第6話 『首人形』       第8話 『水妖怪』



第10話 『シバの大魔神』                    第17話 『地獄脱出作戦』


      第26話 『透明人間』(最終回)



第4話 『妖獣ライゴン』  第18話 『謎の諜報員X7』                     


      第20話 『SOSジャイアントロボ』  


          第22話 『殺人兵器カラミティ』


      第26話 『ギロチン最後の日』



黒田氏 「平山先生、これらの映像を観られて感想はいかがですか?」

平山氏 「いや〜涙が出てきたね(笑)。金子光伸くんはね、幼い感じで、舌が回らないからかえって良いと思ったの。例えば子供から見て達者な子だったら、やきもちをやかれて嫌われる。むしろ、呂律が回りにくい喋り方の方が親しみやすいしね。

ある日、会社のお偉方が金子君のことを「舌が回らないからダメだ。他の子に変えろ!」って言ってきたの。僕は金子君の親しみやすさが良いと思っていたし、観てくれている子供の気持がわかっていないじゃないかと、逆にお説教しちゃってね(笑)。あんなことを言って僕は生意気だったし、東映もクビになっていても当然だったなあ(笑)。でも金子光伸くんはね、本当に良い子役だったよね。あんな素晴らしい子役の子と巡り会えて、僕はとってもラッキーだった。」

かね 「金子君は舌足らずだったので、人から「演技は上手くなかったですよね」という声を聞くことがありますが、そんなことはないと思うのです。私はファンだから弁護するというわけではありませんが(笑)今、『悪魔くん』『ジャイアントロボ』の映像を観ての通り、顔の微妙な表情作りとか、とても9〜10歳の子供とは思えない演技をしていますよね。私は彼の演技力は高く評価します。」

黒田氏 「それではここで、平山先生の東映以外の金子光伸さんの出演作品を観てみたいと思います。まず『氷点』、『コメットさん』、そして『オールナイトフジ』を続けてご覧下さい。」

説明:『氷点』1966年の若尾文子氏、船越英二氏主演の大映映画。『悪魔くん』放映前に出演。幼年期の主人公の女性の兄役。
静止画は←の画像を、  
    Youtubeの映像は→の画像からご覧ください。

説明:『コメットさん』は『ジャイアントロボ』終了後の1968年6月に放送された第51話【ふしぎなふしぎな笹舟】に出演。ストーリーと画像は←の画像からどうぞ。



説明:『オールナイトフジ』は1987年頃の放送で、【懐かし何でもリクエスト】というコーナーに、当時29歳の一般社会人で会社員であった金子光伸くんが出演。
Youtubeの映像はの画像からご覧ください。

黒田氏 「ここでもうひとかた、
特別ゲストをお招きしたいと思います。『仮面ライダースーパー1』の主役・沖一也役で出演され、様々な活躍をされている俳優の高杉俊介さんです。高杉さんは『仮面ライダーZX(ゼクロス)』でも出演されていますが、後ほどお話をお聞きしたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。」


高杉氏 「こちらこそどうぞ宜しくお願いします。」

黒田氏 「ところで平山先生、そもそもZXの主役は金子光伸さんに決まっていたという話を聞きましたが、どのようなお話があったのでしょうか?」

平山氏 「こんな声が多かったんだよね。『金子君が幼い頃から好きだった』『今の金子君はどうなっているのか見てみたい』とね。金子君は青年になってから、『悪魔くん』の2代目メフィストや仮面ライダーの地獄大使を演じていた潮健児さんと交流があってね、僕のところにも来たことがあったんだよね。金子君が「もういっぺん役者をやってみたいんです」と言ってきたの。彼は素晴らしい子役だったし、そしてとってもかっこいいハンサムな青年に成長していたしね。

1983年頃、『仮面ライダーZX』という、1回きりの特番をやるという話があったし、彼は子供の頃、あんなにがんばってくれたしね、彼には「それじゃ1回だけだけど、僕から仕事を差し上げるから、是非ZXの主役をやってみなさい。」と言ったの。彼はとても喜んだのだけど、彼のお父さんが大反対したらしくてね。俳優なんて長くやる職業じゃない、年をとってからも出来るものじゃない、という理由だったんじゃないかな。

役者という仕事に就いて、僕が最後まで面倒をみれればいいよ。でもいつどうなるかわからない職業だしね。僕だっていつ、どうなるかわからないし、彼の一生を決めるようなことを言ってしまって、申し訳ないと思っているんだよね。金子光伸くんはルックスもとっても良かったし、スターになる素質も十分あったんだけど、絶対っていう仕事ではないからね。僕も子を持つ親だから、そこらへんは金子君のお父さんに「ごめんなさい。」っていう気持だよね。」

かね 「さっきの『オールナイトフジ』を見ても、本当にすっごいかっこいいですものね。」

平山氏 「金子君には「ZXは特番だから、1回のみだよ。」と言って、彼も「いいです、わかっています。宜しくお願いします。」って言っていたんだけどね。サラリーマンなら安定しているけど、やっぱり役者は難しいよね。」


黒田氏 「今の映像を見ると、是非仮面ライダーをやってほしかったと思います。金子光伸さんをかつて子役として扱い、そして大人になっても再び起用し、再開させようとした平山先生のお話も、とても夢のあるお話ですよね。」

高杉氏 「平山先生からもお聞きしましたが、金子君のお父さんが反対されたということ、僕はお父さんの考えが正しかったと思います。俳優というのは決して楽な道ではないですからね。もし金子君がZXで主演されていたら、僕とも共演になっていて、それはそれで幸せなことだと思いますが、お父さんの選択は正しかったのだと思います。」

平山氏 「そうだね。金子光伸くんが好きだ、彼を是非出してくれという声が多かったからね。今だから言うけど、ZXの視聴率が15%超えていたら、1回きりではなく、10号ライダーとしてもう1回シリーズものでやりましょう、という話があったんだよ。だから、もしかしたら、金子君が出演していれば、10号ライダーとしてのシリーズが実現したかもしれない。」

かね 「これはあくまでも私個人の推測なんですけれど、お父さんが反対した理由に、当時光っちゃんは日商岩井のサラリーマン、普通じゃ絶対入社できない大手の会社で、エリートコースを歩んでいたんですよね。でも撮影するとなるとそんなに休みも頻繁にとれないから、退職をしなければいけない。さっきの『オールナイトフジ』の29歳の彼を見たら、性格的に温和で、話し方も柔らかく、とっても優しそうな青年という印象を受けるし、本当に心優しい人だったのではないかと思うんです。

それで金子君の実家はお魚屋さんを経営されていたらしく、1Fはお魚屋さん、2Fは食事処だったらしいんですね。お魚屋さんといえば朝、暗い夜明け前に起きて市場に買出しに行き、2Fの食事処は夜遅くまで営業されていたと思うんです。そうするとお父さんとお母さんは朝早くから夜遅くまでびっしり働きづくめで、そんなご両親の背中を見て彼は育ったと思うんですね。そうやって一生懸命自分を育ててくれたお父さんが反対しているのに、自分の我侭というか我を通してまで、お父さんを悲しませたくなかったのではないか?と、私は勝手に想像してそう思うところもあるんです。」

高杉氏 「僕は俳優になる前、自衛隊にいた時がありまして、入隊できるのは27歳までなんですけれど、中隊長から27歳の誕生日まで、毎朝、電話がありまして「そんなところで仕事なんかできっこない。戻ってこい。」やはり一般の人から見れば、俳優という職業は、その後どうなるのか?というイメージがありますしね。僕はたまたま運良く、仮面ライダースーパー1にも出させていただき、主題歌まで歌わせていただきましたが、俳優という話が来た時の金子君のお父さんの気持は、とっても重いものがあったのではないかと思います。」

平山氏 「この商売で生きていくには、これでいいよ、ってことはないし、大変なことだからね。」

高杉氏 「でも僕もさっきまで後ろの席でずっと拝見させていただきましたが、こうしてたくさんの皆さんに、子役だった頃の自分を見ていただき、拍手もたくさんいただき、「金子君って良かったね。」「かわいかったね。」と言っていただけるのは、やはり最高のことで、ご本人もさぞ嬉しいことでしょうね。僕も平山先生も、いつかそうなった時、誰かがそうやって、自分がいた時のことを喜んでくれるのか、思い出してくれるのか、って思いませんか?」

かね 「当然、思い出しますよ!」

高杉氏 「それを考えると、金子光伸さんは、とっても幸せな人だと思います。」



黒田氏 「潮健児さんと金子光伸さんが交流があったと聞きましたが。潮さんの最後を看取ったのが金子君だったという、逸話を教えていただけますでしょうか。」

平山氏 「潮ちゃんはね、金子君のことを「光っちゃん、光っちゃん」って言ってすごくかわいがっていたんだよね。潮ちゃんが入院していた時も、病院に入りびたりになり、洗濯したりして介護をしていたらしいよ。潮ちゃんが亡くなる際、誰も間に合わなかったんだけど、金子君だけそばにいて、潮ちゃんの手を握って最後を看取ってあげたらしいよ。


僕はね、金子君の訃報は、彼が亡くなられた1年後に知ったの。『あの人に会いたい』みたいな番組のプロデューサーから電話がかかってきて、「金子光伸さんに会いたいので連絡先を教えてくれませんか。」ってね。教えた後すぐその人から連絡が入り、亡くなられているということを言っていてね。また金子君のお父さんからも連絡が入り「光伸は去年亡くなりました。」って言われて、そりゃあもうびっくり仰天なんてもんじゃなかったよ。僕がお母さんに電話したら、かわいそうに、とっても泣かれてね。とてもじゃないけど会話もできず理由も聞けなく、その後ずっときたんだよね。そして去年、かねさんから連絡をもらい、金子君が交通事故で亡くなられたというのを知ったんだよね。」

かね 「私も実は金子君が亡くなったことに関してはよく知らないんです。事実かどうかはわからないですけれど、金子君は39歳で交通事故で、多分場所は練馬区でお亡くなりになったのではないか?ということしかわかりません。でも彼は、子供の頃にテレビに出れて、主役をやれただけでも凄くラッキーだったと思うんですね。

番組出演から40年以上も経っているにも関わらず、普通はもう忘れられてしまうと思うのですが、こうしてたくさんの人が懐かしく金子君を「本当にかわいかったね。」「素晴らしい役者さんだったね。」と思い出してくれていて。年齢的にこれからまた人生花開くという時に亡くなられたのは非常に残念ですが、でも彼は良いもの、素晴らしいものをあの短い期間にたくさん残してくれたので、私は彼に対して、ありがとう、という感謝の気持でいっぱいなんです(涙)。」


黒田氏 「こうしてかねさんを通して金子光伸さんを思い出すことが出来て、そしてまた平山先生や高杉さんとも金子光伸さんのお話が出来て、こうしてご縁が出来て、ここにいる皆さんも何かの縁で繋がっていると思うんですよね。金子光伸さんが亡くなられたことは、悲しい事実として受け留めなければいけないけれど、こうしてご縁が生まれて、また何か新しいことをやっていく機会が今後もあると思います。それを楽しみにしたいと思っています。

そして僕から皆さんにお願いがあります。家に帰られたら、是非金子光伸さんを思い出していただきたいのです。『悪魔くん』や『ジャイアントロボ』の映像を見て彼を思い出してもらえたら、それだけでもこのイベントが意味あるものになると思っています。

そして最後のエンディングのテーマに行く前に、せっかく高杉さんが来ていただいているので、もし出来ましたら仮面ライダースーパー1の変身ポーズを是非ご披露していただきたいと思うのですが、いかがでしょうか?」
 (会場大拍手)

高杉氏 「それではお言葉に甘えまして…   へ ん し んっ!」





(会場大歓喜&大拍手)\(^^)/

黒田氏 「高杉さん、わざわざどうもありがとうございました。それでは緯度G大作戦2009のエンディングを観ながら、閉会とさせていただきます。」


(『緯度G大作戦』エンディングでの金子光伸くんの
クレジットが出ているところのみを使用させていただきました)



黒田氏 「本日出演していただいたゲストの皆さん、お越しいただきました観客の皆さん、本当にどうもありがとうございました。緯度G大作戦2009をお楽しみいただけましたでしょうか。今後も我々はがんばっていきますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。最後に、かねさんから『金子光伸くんForever and Ever』の缶バッジのプレゼントがありますので、是非お持ち帰りください。本日はご来場いただき、心より、どうもありがとうございました。





当ウエブサイトで使用している画像等の著作権は、全てそれぞれの原著作権者に帰属しております。営利、及び商用を目的とする無断流用及び転載の使用は禁止されております。当ウエブサイトは非オフィシャルであり営利目的も一切ありません。問題がある場合は恐れ入りますが私管理人宛にメールでご連絡願います。

Copyright of the pictures used in this website all belongs to owners of the copyright. It is prohibited to use or create a reproduction for the purpose of commercial advantages. This website is unofficial and non-profit purposes only. In the case of a matter arose, please inform me via e-mail. Thank you.



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送