2010年10月23日(土)平山亨先生トークショー@道楽亭(東京都新宿区)
『悪魔くん』新宿征服大作戦!! かねぼんの「思いつくままレポート」


昨日開催された、元東映プロデューサーの平山亨先生のトークショーの様子を、簡単に報告いたします。午後4時開演でしたが私はちょっと遅れてしまいましたが、会場はほぼ満席状態で50人以上の人たちが平山先生のお話を熱心に聞いておりました。私は席が一番前しか空いていなかったので、そろそろと着席しましたが、テレビ大画面のまん前、そこには『悪魔くん』の多くのスチール写真が数秒間毎で映し出されていました。

市販DVD等にあるお馴染みの写真もありましたが、なんと初めて見る写真もかなりあり、「いや~~光っちゃんカワイイわ~~」(//∇//) と、ぽわゎ~~んとウットリするもの、あれ?トークに集中しなければ!あらま~これもキュートだわ~ん、ま!蜘蛛の巣の下じきになって薄目を開けている光っちゃん、これはおはつ写真でまるでVogueかなにかのファッション雑誌でのモデルの官能ポーズみたいじゃない、なんて1人で勝手にぐるぐるしていたようです、早く現実に戻らなければと思ってしまいました、おはづかしい(^^;

さて、平山先生のトークですが、先生はいつみてもかわいいお方です。先生のような偉い方に対して大変失礼な言い方かもしれませんが、先生はとっても心が温かく優しく、和のお心を持ち先生がそこにおられるだけでふゎ~~んと癒されるのです。先生は『悪魔くん』の企画がスタートするまでの経緯をお話してくれました。

NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』の中では、先生扮する風間トオル=船山氏が、まず鬼太郎のTV化を持ってきて、その後にやっぱり『悪魔くん』にしよう、という形でしたが、実際先生は最初から『悪魔くん』が第1号であり、その前に実際鬼太郎の話を水木先生に持ってきた人はいたそうですが、平山先生ではなかったそうです。

せっかく能力のあるたくさんの人が毎日仕事もなくブラブラしている中、その頃映画より虐げられていたテレビ、そしてテレビの中でもかなり虐げられていた「ジャリ番」=子供番組で、自分達だってりっぱなものが創れるんだ!という、スタッフ1人1人の魂と強い願いが込められたのが『悪魔くん』だったそうです。

そして監督さん、脚本家さん、特撮のスタッフの方たち、そして出演者の方のお話になっていきました。印象に残っているのは、初代メフィストの吉田義夫さんは、大学で日本画の先生をされていた、なぜ俳優になったのか聞きそびれてしまった、吉田さんが肺の病気になり出演が継続できなくなったときに、真っ先に潮健ニさんが候補になり、彼はメークなしでもメフィストを十分にやれると思ったこと(笑)、そして金子光伸くんは、小林恒夫監督が『スパイキャッチャーJ3』で採用して「いい子がいるよ」とオーディションに来てもらったところ、満場一致で決まったこと等を話していただき、どのエピソードも笑いと心温まるステキなお話でした。

展示物では、私がとっても楽しみにしていた、光っちゃんが平山先生に、役者を切望した手紙と当時の写真があるということでしたが、正直、光っちゃんは役者を切望していたものの、なかなか思うようにいかなかったということを聞いていたので、手紙を見るのは実は、とってもとっても怖かったのです。念のため、ディッシュを大量に持ってきてこころの準備はしていました(o´_`o) 

そして一旦トークショーが終わってすぐ横のカウンターを見たら、いきなり目の前になんかえらいイケメン君のモノクロ写真が!(*・0・*) !へたしたら大泣きになるかもしれないよう~~と、おそるおそる手紙を見ましたが、手紙文は数行で実に淡々としており、最後に「どうぞ宜しくお願い致します」(笑)。誤字が見受けられましたが(^^; そこは当時は高校生ってことでご勘弁ですね(そういうぢぶんは言葉を訳す仕事をしているのに、未だに読めない漢字多いデス(―皿―;)

光っちゃんの写真は1974年のもので、彼が高校3年生の時のものです。しかし高校生らしくないすっごい大人っぽい写りで、最初は22歳ぐらい?と思いました。髪型は当時の西城秀樹氏のような長髪でした。ほりも深く外国人のようなお顔だちで、雰囲気的に一見若いときの川崎麻世さんのようなカンジでしょうか。写真の裏に「身長174cm、体重59kg、年齢17才」とありましたが、えええ===!
L(>0<)」光っちゃんは身長が低いからもったいなかったって聞いていたんですけどお~~~w(゜o゜)w !

ちなみに私は167cmで、彼は私よりも同じか低いと聞いていたので、そのイメージでずっと来ていたから正直が====んっL(・o・)」  しかし私の古い友達も大学生の光っちゃんをみかけていて、「背が高く痩せていてスラッとしていた」と言ってたっけ…光っちゃんはイケメンだけではなく、背も高かったのでかなり目立っていたのではないでしょうか。

平山先生のトークショーが終り、その後懇親会では立食という形で飲み放題、お食事も出て、皆でワイワイ和やかでした。ここ道楽亭さんの食べ物は品があって美味しく、チーズをワンタンの皮で巻きカラッと揚げてあるものが超おいしく、家に帰ってから「もっと食べときゃよかったよ。」とプチ後悔(^^; 今後ここでは色々な特撮関係の方のトークショーを企画しているらしく、12月12日はバロム1に出ていた高野ひろゆき氏。実は私のはつこひは金子光っちゃんでしたが、初めてファンレターを出したのはなんと高野氏でした、浮気者ですかね(^^;って道楽亭さんの食べ物もおいしかったし行ってしまおうかなと思っているわたしでした(笑)。

また懇親会では、私の主催した光っちゃん上映会や、9月の『迷子の天使』NHKツアーに参加してくれた多くの皆さん、そして平山先生関係のお馴染みのお友達もたくさん来て、すごい盛り上がりました。いつも皆さんからは、色々なものをいただきまして、本当にどうもありがとうございましたm(_ _)m そのプレゼント1つ1つが、とってもお心のこもっているものなので、心から幸せを感じております。今後も光っちゃんHPや小規模ですが交流イベントをやっていきますので、どうぞ宜しくおつきあいくださいませm(_ _)m

そしてまた、司会の堤哲哉さんは、「悪魔くん河童の三平 完全ファイル」というバイブル的な本を出されている方、初めてお会いするから楽しみ~~~と思っていたら、堤さんから「去年お話していますよ」と言われ、ああ~~あの時のあの人、堤さんだったのか、ってとんちんかんですね(^3^; 

そして帰る間際に本当にびっくりしたのは、1981年発行の「ファンタスティックコレクション ジャイアントロボ」という雑誌の中で、光っちゃんにインタビューをしたというお方に会い、本当に本当に本当~~~~~にびっくりしてしまいました!
L(+o+)」 そこで無理矢理彼に「お茶してください!」とまるでナンパですね(笑)。そして都合の良い人何人かでお茶をして、光っちゃんインタビューの秘話、そして他の人たちからも色々な秘話を聞かせていただきました。

光っちゃんの秘話に関してはまた日を改めて、出来る限り紹介させていただきたいと思いますが、今年の夏以降、光っちゃんを知る人とかなりお話できる機会に恵まれ、皆さんが言うには、

「幼少期の光っちゃんは色白で可愛かった、まるで外国人だった」
「学校に来ていないのに、頭がよくて学級委員も務めた」
「学芸会で『森の王子さま』という劇で、王子役をやり、ぴったりだった」

と聞いていますが、24歳当時の光っちゃんも

「白い高級車で来てくれたので、まるで白馬の王子さまみたいだった」

ということでした(笑)。17才の時の写真もすごいイケメンでおまけに背も高かった、異口同音で王子さまという人もいるし、ばかやろ===なんで死んだんだ====!と夕日に向かって叫びたいわたくしでした(ノ_<。)

以上、支離滅裂でしたが、思いつくままのレポートでした。平山先生、堤さん、道楽亭のみなさん、そしていつも力となり支えていただいている光っちゃんファンの皆さん、お一人お一人に、心よりどうもありがとうございましたm(_ _)m また近いうち、お会いできることを楽しみにしておりますし、HPには来ていただいているけれどもまだお会いしていない方、これからお会いできるのを楽しみにしております。

最後に、天界での光っちゃんが上から私たちの盛り上がりの様子を、微笑んで見てくれているような気がします(^_-)b  夜空に向かって「光っちゃん、本当によかったわね。ブームはまだまだ続きそうだから、そちらから見守っていてね」
(^人^)と思わず言ってしまいました。

皆さま、本当に、心より、どうもありがとうございましたm(_ _)m




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