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1968年(昭和43年)6月17日放送の「コメットさん」第51話 「ふしぎなふしぎな笹舟」に、光伸くんがゲスト出演しています。番組は残念ながら、現在は映像で見れることは出来ませんが、海外のコメットさんのウエブサイトに、このお話の概要が載っていましたので翻訳しました。

海外及び日本のコメットさんのウエブサイトのリンクはこちらです。
また、翻訳したのは「June 17th. 1968 - Episode 51: The wonderful straw boat 」です。

このサイトの管理人のパブロさん、そしてその他の皆様、惜しみないご協力を色々とどうもありがとうございました m(_ _)m
For Pablo and people who helped me, thank you so much indeed for your generous cooperation.







1968年(昭和43年)6月17日放送


笹舟とコメットさんは魔法をうまく使うことが出来なくて、アイスクリームを出そうとしたら、なんと泥が出てしまった。

子供たちは小さな紙人形を舟に浮かべ、新年のお願い事をする。彼らがお願い事を紙に書いている間、コメットさんも彼らのそばにいた。人のお願い事を見るのはいけなかったけれど、お願い事を書いた紙人形を乗せた舟が川をくだって行った後、コメットさんは人形たちを話せるようにした。おかしいお願い事もあれば
(^▽^)へんなお願い事もあったけれど(’へ’; ひどいのもあった(@O@;

   「お母さんに口がなければいいのに。」

… なんですって?こんな事を言うなんて悪い子だわ!

でもその子はまた「病気の弟が海を見に行くことができますように。」とお願いしていた。これを聞いたコメットさんは黙ってしまい、武と浩二に、こういう問題を抱えている友達がいるかどうか聞いた。

そう、タローという子にはお父さんがいなく、お母さんはタローと弟に辛くあたっているそうだ。家ではお母さんがタローに怒鳴り、叩いているのが走馬灯のように見えた。

コメットさんはタローに話しかけ、二人は友達になった。お母さんがいない時には、コメットさんはタローと弟とお話しをした。弟は、病気なんだけど海を見に行きたいと言った。そしてその後、弟は入院してしまった。

武と浩二はお見舞いに行き、海の絵を持っていった。コメットさんはお医者さんに、彼が1日だけでも海に行けるかどうか聞いてみた。そして行けることになり、海へ向かう車の中、子供たちは歌ったり、プレゼントを交換したりしているうちに、とうとう浜辺に着いた。

コメットさんが「うれしい?」と聞いてみると、弟は「ううん…。」「まあ、どうして?」「だって僕は走りたいんだ。足を海の水に浸けて感じてみたいんだ。そしてお兄ちゃんと一緒に遊びたいんだ。」

そしてコメットさんは弟の魂を彼の肉体から離れさせて、遊んでいる子供たちのもとへと行かせた。みんなが一緒に砂浜を、飛んだり跳ねたり、走っているのを、コメットさんはじっと見守っていた。

                     


         


脚本:宮内婦貴子 
監督:香月敏郎
出演者:福田トヨ(サスケの母)、稲吉オサム(屋台のおじさん)、小山政憲(サスケ)、
根津雅彦(ゼロ戦)、金子光伸(タロー)、西村なるみ(ピッピ)、久保ひろみ(メガネ)、
まつむらたかしさとし(ジロー)



このコメットさんの第51話の画像を「ギャラリー」ページにアップしました。どうぞご覧下さい。





アメリカ版ジャイアント・ロボに関する記事を翻訳しました。ロボは1970年代にJohnny Sokko and his Flying Robot(ジョニー・ソッコ・アンド・ヒズ・フライング・ロボット)というタイトルで、アメリカで頻繁に放送されました。記事は英語版Wikipediaからで、訳したのはThe US Version(『アメリカ版ジャイアントロボ』)とAfter the show(『番組の終了後』)と、Absolute AstronomyというサイトのWhat’s Robo saying?(『ロボは何と言っている?』)です。

日本とアメリカでは見解も違いますね(^^)


               





アメリカでの初回の特撮放送の全シリーズは1969年(昭和44年)、その後数年間に渡り非常に人気が高く、特に1971年〜1973年(昭和46年〜48年)には、配給及び流行面で最高を極めた。1970年(昭和45年)、ロボの幾つかの話から編集され制作された”Voyage Into Space”という映画は、現在のカルト映画のステータスとなっている。

最近、日本で東映ビデオからDVDが発売されたが(全話は1990年代にレーザーディスクでも発売された)、アメリカではリージョン1のDVDとしては、全話はまだ発売されておらず、初回の10話のみオリオン・ホーム・ビデオからビデオで発売されており、そのビデオが絶版になってから長い年月が経つ。映画も未だにDVDでは発売されていない。

オリオンはMGMに吸収され、そしてアメリカのSonyがMGMを買収し、現在はロボのアメリカでの著作権はSonyの手中にある。しかし、アメリカで放送された全話のブートレッグやそのコピーが、ビデオ及びDVDで出回っている。

またアメリカでは、iTunes ミュージック・ストアや、Amazon.comのUnbox (そして最近ではHulu オンライン・ビデオ・サービス)等、合法的に認められているダウンロードがある。(訳者注:こちらはインターネットでアクセスはできますが、アメリカ以外の国からはダウンロードが出来ないとの忠告がアクセス後に出てきます)

1960年代、アメリカの子供番組の標準から見ると、話は驚くほど暴力的であった(母国日本でも同様で、当時放送されたその他の特撮番組では一番バイオレントだった)。銃や撃ち合いは話の中での定番であり、2人の主役の子供−ジョニー・ソッコ(草間大作)とマリー・ハンソン(花村マリー、39ヶ国語を話し、射撃の名手でもある9歳の少女で7話から登場した)が、他のユニコーンの隊員たちと共に頻繁に撃ち合いをする。

ある話では、ジョニーとマリーが敵に捕まり、2本の木に縛り付けられ、数秒以内に銃撃班から処刑されるという時に、ユニコーンが救助するというエピソードがあった。不思議な話ではあるが、この時期、日本からアメリカへ輸出されたアニメは実際に、暴力的なシーンは編集されていたが、このジョニー・ソッコ・アンド・ヒズ・フライング・ロボットはその点に関しては、厳重な調査を免れており、番組中に編集されたのは、暴力を抑えるための効果というよりはむしろ、商業面で無理矢理伝えたという意図が強い(少なくともアメリカのテレビ局で、デトロイト州のWXONは、番組の開始前に「いいかい子供たち、ジョニー・ソッコは架空の人物で、この役者さんは演じているだけだよ」という免責事項を流していた)。

アメリカ版の発売にあたりアメリカ人の声優による吹き替えに加えて、番組の音響効果は全体的にリミックス、又は新たな録音が行なわれた。番組で使われている日本の音楽のサウンドトラックも頻繁に使われているものの、日本の番組の場面とは別の場面で使用したり、また全体的にジャス志向のインストゥルメンタルに入れ替えた所もあった。



ロボは言葉を発さないが、大作少年が命令を出す度に、エコーがきいた大声で返答するのは「MASSHHHHH!!」(マーーーーシュ!!)(訳者注:英語読みの発音)




ジョニー・ソッコ・アンド・ヒズ・フライング・ロボットに出演した俳優たちのその後のキャリアは、事実上ぱっとしていない。出演者たちの伝えられている最新情報を下記に述べる。

金子光伸氏(草間大作/ジョニー・ソッコ(米)役)は、1997年に逝去。彼の俳優としてのキャリアは、このジャイアントロボ後に完全に終わってしまったようだ。

安藤三男氏(ドクトル・オーヴァー/ドクター・ボータナス(米)役)もまた、1997年に逝去。彼は子供番組で数々のキャラクターを演じた。

千葉耕市氏(ナレーター)は2001年逝去。亡くなる前年までに様々な仕事で役割を果たした。興味深いのは、1966年のジャイアントロボ、及びその後のOVAでドクター・フランケン・ヴォン・フォグラーの声優と、初代からのロボシリーズに関わっていた唯一の人物だった。

室田日出男氏(ブラックダイヤ/ハーレクイン(米)役)は2002年、肺がんのため逝去。ジャイアントロボ後、様々な映画やテレビ番組で生涯を通し活躍した。ロボの出演者の中では、彼が最も俳優としての成功を収めたと言ってもいいだろう。

伊東昭夫氏(南十郎/ジェリー・マノ(米)役)は、伝えられたところによると、現在は美術監督である。

片山由美子氏(西野美津子/ミツコ・ヒノ(米)役)は、1969年日本のテレビ番組「プレイガール」に出演した。ジャイアントロボよりも記憶に残っているのは、1970年代初頭の≪ピンキー・バイオレンス(若い女性のバイオレンス)≫映画で、1971年の「ずべ公番長・ざんげの値打ちもない」、及び1973年の「前科おんな 殺し節」。その後彼女の女優としてのキャリアは終わったようだ。

丹羽又三郎氏(スパイダー役)は、ロボの前に様々な映画で小役を演じた。ジャイアントロボ後に出演したのは、1971年の「仮面ライダー」で「ブラック将軍」のみであった。

キャサリン・バイヤーズ(ボビー・バイヤーズ)氏は女優で、ジョニー・ソッコの英語の吹き替えを担当し、1960年代から長いキャリアを持つ。アメリカでは「キャプテン・ボニー」「ジ・アメージング3」でも声優で出演した。1970年代の初に、キャリアを終えたようだ。



 当サイトの『ギャラリー』ページに、ジャイアントロボの金子光伸くんの静止画と、
Youtubeでの映像をリンクしております。こちらからどうぞ。




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